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スピリチュアルブームの心理



1 はじめに  最近、テレビのゴールデンタイムで美輪明宏、細木数子や江原啓之などが主演のある見方をすれば宗教的な番組を放送していることがしばしばある。この番組の内容は、主演である細木数子が相談者であるゲストの人々の悩みを解決するために占星術やオーラ、死後の霊などを見たりする能力を使いそれぞれのゲストの相談者にアドバイスしていく。江原啓之、美輪明宏の番組では江原啓之にしか見えないオーラや江原啓之にしか聞こえない死後の霊の声などを聞いて悩みの相談者にアドバイスする。生年月日から運勢を占う占星術や、霊の声を聞いたりするということはあまり確実性がなく、科学的にまったく証明されていない根拠のない非科学的なものであると思われる。それなのに最近では、高視聴率を取れるからか、このような一般人には感じることや見ることが不可能な霊やオーラ、運命などを扱ったテレビ番組がよく放送されている。江原啓之や細木数子、美輪明宏の執筆した書籍などはほとんどがベストセラーになっているほどの人気がある。私がテレビを見ているときも私の母親が細木数子が占いで相談者にアドバイスをする番組にチャンネルを回そうとすることもたまにある。このことから若年層から高齢者まで幅広い年代で人気があるように思える。多くの人々はなぜこのような不確実であまり信用できそうもない占いや霊などのいわゆるスピリチュアルなことにハマっているのだろうか。ここには現代人の心理が色濃く反映されているように思える。

2 スピリチュアル信仰をする人達  私はなんのために生まれてきたのか、本当の幸せとは何なのか、などは誰もが持つ疑問であり悩みでもある。時には、「私なんて生まれなければよかった」などと自己否定的な感情を抱くのは人間だけであるだろう。特に現代の日本人には自殺率の増加からこの傾向が強いようにも思われる。日本人は他宗教で、特に信仰する宗教や神がいない、さらに最近では日本にある伝統ある仏教などへの信仰までも薄れてきている。そうであるから人々は簡単に自分自身や人生の先行きに対して懐疑を抱く。もしも、なにか自分の信じる宗教があるならば、このような疑問はあまり持たずにすむ。そこで人生に迷っている人達に対して現われた先導者が、江原啓之を初めとする霊能者、スピリチュアリストと呼ばれる人達である。彼等は普通の人の目には見えない世界を感じたり見たり、特に死後の世界の霊、前世の魂や守護霊、先祖霊の声を聞いたりできることを特徴としている。昔にも現在のスピリチュアリストと呼ばれる人と同類のような仲間達も居ることにはいた。シャーマン、イタコ、などがそうである。しかし、従来の霊媒師達は世間一般の社会からはどこか特殊な人で、どこかで人々に認められていない、ましてや多くの人の目に晒されるテレビに出ることなんてことは、そうそうないだろう。ところが、現代にいるスピリチュアリスト達は昔の霊媒師のような暗いイメージの怪しく敬遠される存在とは違い、暗く怪しいイメージなどはほとんど持っていない。例えば名前の呼び方にしても、現在のスピリチュアルブームの代表である江原啓之は、自らを「スピリチュアルカウンセラー」と名乗っている。死後の霊と話せると聞けば普通の人なら警戒してしまうところが、「カウンセラー」や「セラピスト」という霊能者とはあまり関係のないような名前のついた人物に会うのだと思えば、どこか医者にかかるような感覚になり、怪しさをまったくといっていい程感じなくなってしまうのではないだろうか。江原啓之が出演する高視聴率番組では、既に亡くなった家族や友人、恋人が死後の世界、天国から現世の人に伝えようとしているメッセージを江原啓之が媒介して伝えるという番組で、この内容を見た視聴者は「感動しました」「涙が止まりませんでした」などという内容のメッセージを手紙やネット掲示板に書き込んでいる。この例からわかるように、スピリチュアリティはいまや怪しいいかがわしいものではなく、ゴールデンタイムのお茶の間に堂々と放送され、普段から特に霊や宗教などに強い興味を持っているわけでもない一般人の学生、主婦、会社員が当然のように語ることのできる話題となっている。そして、現在では面白いから見る、語る、という以上に、江原啓之などのスピリチュアルカウンセラーの言葉を100パーセント信用、信頼してそれを人生の道標として重要な決定をするような人達も増えている。江原啓之が直接語りかける講演会には大勢の人が詰めかけて、涙を流しながら話に耳を傾ける。ここまでちょっと胡散臭い宗教的なものを信用してしまうということは、日本人は現在信じるべきものを失っているのではないだろうか。現在の日本は景気もあまりよくなく、年功序列は減少傾向で、簡単にリストラされることもある、誰も信じることができず自殺する人も多数いる。つまり、現在スピリチュアルにのめりこんでいる人達は信じるべきことがない、信じるべき神、信じるべき宗教、自分のことすら信じていない。つまり自信を持てるものが無い人が、自分の進むべき道を教えてくれるスピリチュアルカウンセラー江原啓之氏などを信仰しているのであろう。

3 スピリチュアルの本質  少し前の時代では、死後の世界や霊と言えば、どうしても暗くてオカルト的なイメージをもたれがちだった。しかし、最近ブームになっているスポリチュアルは、よく読みとらなければ霊的なものとはわからないほど明るい印象であったり、人生に直接結びついていたりすることもする。ではなぜスピリチュアルブームはこんなにも人を引き込むのだろうか、スピリチュアルにはどのような魅力があるのだろうか。それは「幸福」を求めるところであるだろう。人は誰もが幸福になりたいと思っている。特に不況と言われる日本ではこの傾向が強いのではないだろうか。スピリチュアルが人気になる理由には、従来の宗教の印象のように禁欲的で俗世離れしているようなところがないというところが挙げられる。従来の宗教もある種の幸福を追い求めてあるものではあるが、どこか現実の世界を否定しているようなところがある。それに比べてスピリチュアルでは、あの世の存在を信じているとはいえ、現実や俗世を否定しているわけではない。それどころか「ご先祖様に願えばお金は貯まる」「良いオーラを出して素敵な恋をする」などスピリチュアルを、現実の幸せを追求する手段としていることも少なくない。経営や起業など、より大きなビジネスを成功させるためにスピリチュアルが使われることさえある。また、病気などを和らげ、家族や恋人などの大切な人を失った悲しみを癒すために使われるスピリチュアルもある。この場合も、恐怖や悲しみを薄めるのは、あくまで自分の今の人生をより明るくするためという側面が強い。現代のスピリチュアルの目的は自分がより快適に幸せに過ごせることであるのではないだろうか。幸運になるスピリチュアル、金運がつくスピリチュアル、仕事運があがるスピリチュアル、健康のスピリチュアル、悲しみを減らすスピリチュアル、今人気のスピリチュアルな指導者やカウンセラー、解説書やマニュアル本には、それぞれ得意とする分野がある。しかし、これらを満遍なくカバーしてる、スピリチュアルブームの頂点に立つ人がいる、それが自らをスピリチュアルカウンセラーと名乗る江原啓之である。  江原氏は現在、雑誌、書籍などのなどの他に、より多くの人が見ることがあるテレビの世界で活動を続けている。江原啓之の一番魅力的なところを挙げていくと、人柄が優しそう、または優しい、漂ってくる雰囲気、言っていることに共感できる、仏のような面構えをしている。といったところだろう。これらを見てみると、霊能者として一般の人から評価されているというよりは、人として、人格者として評価されているように思われる。実際はどうであれ、テレビで出ている限りでは人格者であるかのような江原啓之だからこそスピリチュアルも認められてきているのではないか、実際テレビでオーラが見えるだとか霊が見えるだとかそういう場面よりも、ある種カウンセラーとして当たり前のような相談者の話を聞くこと、相談者にアドバイスをすること、この二つをしているだけにすぎないのである。そこに江原啓之独自の仏のような風貌、優しい物腰、穏やかな性格などが加わっているだけにすぎないと感じる。テレビ番組のオーラの泉では、江原啓之が自分のオーラの色を教えてくれて色々とアドバイスする。実際オーラが見えていることなんていうのは誰にもわからないことである、それなのに誰もがオーラの泉を見ている。これは江原啓之の話が聞きたいがために見ているのではないだろうか。例えば江原啓之以外の誰かがこれをやってもあまり視聴率は上がらないだろう。スピリチュアルというのは何かを信仰したいという人の気持ちなのではないだろうか。現代は会社に勤めてもリストラに会うこともしばしばある、非正規雇用が著しく増加し、自分で決定するのが難しい程選択肢がある。そんなときに自分を正しい道へと導いてくれる存在を欲している人が多くいる。パワーストーンやオーラソーマ、風水、占いなどはその道標となる。つまり、スピリチュアルブームは先行きがわからない時代だからこそ流行しているものだということである。江原啓之のスピリチュアルなオーラや霊の声にしろ、風水、占いにしろ、非科学的であまり根拠がないものに頼らなければ現代人は自分の行き先がわからないのである。現在は様々な面で多様化、グローバル化しており、自分1人で色々なことを選択決定するのは難しいと考える人が多い、将来が不安だと言う人が多い証拠だと思われる。だからこそ、江原啓之などのスピリチュアルブームなどに思わず乗ってしまうのだろう。そしてもう1つスピリチュアルにハマってしまう大きな理由の1つに現代人の自分らしさを追い求める様にある。「私はなんのためにこの世に生まれてきたのだろうか」「私はその他大勢のうちの1人でしかないのではないか」といった悩みだ。それが最近では自分探しの旅などと称してどこか遠くに出かけていく。この自分探しをする人達が何を探しているのかはよくわからないが、おそらくは今のままの自分は「その他大勢の人間のうちの1人」でしかなく、なんのために仕事をしているのか、なんのために自分は生きているのかがどこかハッキリしていない人達であるからスピリチュアル、江原啓之にハマっているといえる。つまりは自分の内側の悩みを解決するためにスピリチュアルを取り入れているのである。恋愛相談にしても家族の相談にしても全て自分中心だ。例えば江原啓之が社会問題である靖国参拝に関して反対といったら、多くの男性は途端にうさんくさいという。女性はというと政治に関してはよくわからないと目を伏せる。そして私の結婚、恋愛について相談があるんですけど、と言い出す。このスピリチュアルブームは自分中心主義、現在の拝金主義をそのまま反映しているような面があるであろう。

4 おわりに  このスピリチュアルブームの根本にある心理は現代人の自分の将来への不安から来ていると思われる。このような悩みをもつ人々にとって、自分の道を教えてくれる存在、江原啓之などの人物はもっとも必要とされるものであろう。つまりスピリチュアルブームというのは、霊的なものを信じて追い求めているというよりは、江原啓之自身の言葉を求めているといった方が正しいのではないか。他の宗教化が人生相談をするより江原啓之が人生相談をした方が何か満たされる。このスピリチュアルブームというのはどこか江原啓之教という宗教のような気がしないでもない。オーラを信じるというよりも明るい言葉を信じているだけなのではないか。これが現代人の求めているスピリチュアルブームであろう。現に江原啓之が発言する社会的発言に対して世の中のリアクションはあまり芳しいものではない。江原啓之が靖国問題についてノーと発表したとき、この重大な発言は、週刊誌にも新聞にも取り上げられず大問題にはならなかった。江原啓之のような社会に対して影響力の強い人間が靖国問題のような倫理的なものをスピリチュアルな視点で語ったら、いわゆる江原啓之を信じている人の大部分はこれに追従するだろうし、マスコミも大騒ぎするはずであるのに。だから、江原啓之は社会的な人物というよりもどこか自分とは違うところにいる存在だと思われているのではないだろうか。やはり、スピリチュアルブームともてはやされてはいるが、社会全体で見たらそれほど信用されてはいない。つまり、一部のいわゆる江原啓之教的な人達がいることにはいるのだが、そんなには信用されていない、ある種の娯楽的位置づけのような気がしてならない。テレビに放映されて皆が話題にはする。しかしどこか信用されていない。メディアに出るためのキャラクターなような気がして仕方が無い。現代人は自分の力で自分の道を選択できる人が少なくなってきているような気がしないでもない。

参考文献

2007 香山リカ『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』